苫米地英人が江原啓之のスピリチュアルを否定する理由
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苫米地博士は江原啓之のスピリチュアルを幾度も否定しています。その理由について紹介します。
釈迦は生まれ変わりを否定した
苫米地博士は自身を「釈迦派」と言うくらい釈迦の考えを賞賛しています。
その釈迦は生まれ変わりを否定しています。
理由は、生まれ変わりの論理は支配者が作り出したものだからです。
釈迦が生まれたインドでは当時バラモン教(現在のヒンズー教)が主流でした。バラモン教には輪廻転生という生まれ変わりの論理があります。
バラモン教ではカースト制度があって、生まれた瞬間にカーストの階級、つまり身分が決まります。
奴隷の親から生まれた子供は奴隷の身分になります。そんなこと言われても納得できるはずもないのですが、その説得材料が生まれ変わりの論理なのです。
あなたは前世で悪いことをしたから、それを償うために奴隷の子として生まれ変わったのだというのです。日本に住んでいる私達からすると「はぁ?ふざけんなよ!」なんですけど、インドの人たちは納得しているようです。
で、このような生まれ変わりの論理を利用した身分制度は階級の高い人にとって好都合です。
自分の家系は未来永劫高い身分でいられるからです。支配階級の身分があれば、様々な恩恵が受けられます。それが無条件で手に入るわけですから、支配者がそれを手放すわけがありません。
これを見抜いた釈迦は仏教を作り、生まれ変わりを否定したのです。
生まれ変わりとは、このような利権や差別の論理があるのですが、現代におけるスピリチュアル論者の一部にも生まれ変わりを利用した利権や差別が見られます。その一番手が江原啓之なのです。
魂の階級はカースト制度と同じ
江原啓之は「人には魂の階級があって、階級に合った課題を背負って生まれてくる。だから辛いことがあっても、それはあなたの魂の階級に課せられる課題だから頑張ってください」と言っています。一見人を励ます良いことを言っているようですが、きな臭さがありますよね。
江原自身は高い魂の階級で生まれてきたからスピリチュアルカウンセラーをやっていると言っているのですから。
これは支配階級の身分で利権を貪るカースト制度と構造的に同じです。
魂の階級は単なる差別である
生まれたばかりの人に「あなたの魂の階級は○○です。○○の階級の課題を頑張ってください」と言うのは、「あなたは黒人なので白人より頭が悪いので単純労働でもしててください」というのと同じことです。
苫米地博士は戦争と差別のない世界を目指しています。人は皆、努力をすれば、望む人生を生きられる、そんな社会が理想的ですよね。そこに、「魂に階級がある」等と言う論理が持ち込まれれば、階級に制限された生き方しかできなくなってしまいます。当然それは許せることではありません。
だから、苫米地博士は江原啓之を否定しているわけですね。