「好きなことをやっている」のは自己中ではなく自立した大人【苫米地理論】
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空手道マガジンJKFan2022/11のコラムにて、
相談:空手は好きだが、いつも負けていて、勝ったことがない。親はいつまでも勝てないならやめろと言う。どうしたらいいでしょうか?
辞める必要はない。空手が好きでやりたいというのであれば、辞める理由がどこにあるのか?
目次
親がやめろという理由を考えてみる
理由1 両親から見て、相談者さんの練習が生ぬるく見えてしまっている → そうであれば、練習量を増やしてもいいが、自分の気持ちよくできる、今まで通りの練習量でも問題ない。
理由2 やる以上は結果を出さなければいけないという結果至上主義がある
好きなものに他人が口出すべきではない
私たちが何かを好きになる、好きでそれに打ち込むというのは、他人がどうこう言うことではない。たとええそれが両親であっても。
相談者さんは試合に負けてばかりでも空手を嫌いになっておらず、両親に反対されても、自分はこれが好きなんだ、やめたくないと言えるものを見つけている。これは何事にも代えがたい、相談者さんの宝なのです。
親は子供が試合で負けるとがっかりする。がっかりが何度も続けば「やる気がないならやめてしまえ」と言いたくなってしまうのもわかる。
あまりにも負けが続くと「この子には向いていないので、もっと他のことをしたほうがいいのではないか?」などと思いがち。
子育ての根本とは「自分の子がどんな大人になって欲しいか」です。
「どんな子供になって欲しいか?」ではありません。
動物の子育てで大事なのは巣立ち。巣立ちのための知識と技術を伝えるのが親の役目。子供の巣立ちがとても遅い、人という種族はどうしてもそこを忘れがち。
自立している大人=好きなことをやっている人
自分が何が好きで何をしていきたいかを理解し、そのために人生設計を組み立てられる人を大人と言うのです。
「おとなになったら嫌なこともしなければいけないんだ」と言われるかもしれないが、我が子をそういう人に育てたいですか?好きなことをやっている心地よく暮らしている人になってほしいはず。
そういう大人になるためには、子供の時から好きなことを続けられる環境作ることが親の役目。
学び:好きなことをやる、それが意味すること
「好きなことをやる」っていうと自分勝手とか自己中みたいなイメージがわいてしまっていたが、
「自立している大人=好きなことをやっている人」
「好きなものに他人が口出すべきではない」
なのだなと。
他人の好きなものを認める大切さは「その着せ替え人形は恋をする」っていうアニメでも表現されていて、そうだよな!って思っていたけど、苫米地コーチングにおいてもやっぱりそんなんだなと嬉しくなった。