夢を実現する数学的思考のすべて 要点メモ
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一瞬で見つけた解のことを数学の世界ではエレガントな解という
論理的思考は、数学的思考の一部でしかない。
数学的思考は情報空間の思考。
形式論理(フォーマルロジック)
この世界には構造だったら構造という公理の世界があって、系がある。それを形式論理で記述できる人を理系という。
理系とは学問の内容のことではなく、数式・形式論理を扱える人のことを理系という。
大事なのは数学の表記ではなくコンテンツ。
トンネル効果
ICチップくらい精密な世界では、電子が絶縁体を飛び越えて外に漏れてしまうことがある、これをトンネル効果という、まるでトンネルがあるかのように外に漏れてしまう。これは不確定性原理によって量子がどこに出現するかわからないことによるものである、ICチップの消費電力を小さくするにはいかにトンネル効果を少なくするかが重要。
数学的思考
数学の宇宙は物理空間ではなく情報空間にある。3-4=-1のような単純なものでも物理空間には存在しない。3つあるボールのから4つ取ったみたく物理空間では表せない。
数学的思考とは、情報空間で数式を図式化、ビジュアル化する能力をいうのである
「問題という名の迷路を整理して、スタートとゴールを一直線でつなぐ道を作る」
「迷路を階層化させて、見たこともない構造物を作り出す。」
熟練したミュージシャンはメロディを聞いているだけでそこにハマるコードがわかる。論理的にわかるのではなく感覚的に見えてくる。
方程式でも同じで、パット見た時に「どこかおかしい、その方程式、空間がずれてない?」と感じたりする。
慣れ親しむことでこういった感覚は身につく。
この世に演繹法はない。
演繹法はセオリーの基づく。数学にはセオリーがある。この世には決まったセオリーはない = 不完全性定理。
しかし、社会は演繹法で動いている。人間社会の公理系(セオリー) = 法律、憲法、国際条約。
憲法違反かどうかの議論は、憲法よりも上位の公理系である国際条約を見れば答えが出る。ただし、この世には絶対的に正しいことなどない。社会の公理系(法律、憲法、国際条約)が間違っている場合もある。
確率論の主流はベイズ理論だが
コインを投げた裏表のようなシンプルなものならベイズ理論でもいい。
しかし現実世界ではすべての事象はつながっている。今日の天気は昨日の天気に影響されている。デンプスター・シェーファー理論はすべての事象は独立事象ではありえないことを主張するもので、こちらのほうが現実世界では正しいだろう。
人間は限定合理的
インダクション(帰納法)
ディダクション(演繹法)
アブダクション(近似解)=人間の思考
辛いスナック菓子を探す時、赤いものをさがす。
コンピュータがディープラーニングで猫の画像を認識するのも広義でいうアブダクション。
人間は曖昧な状況で判断を下せる。限定合理的な推論=ヒューリスティックス。
形式論理は厳密に言えば数式ではない。形式論理は知識を表すための形式=論理式としてのフォーミュラを使う
形式論理とは事実上、述語論理(プレディケートロジック predicate logic)のことを指す。現在では述語論理といえば通常、高階の述語論理のことをいう。
フォーミュラにすれば意味を正確に伝えることができてプログラムを書くことも出来る。
人工知能が暴走するかはプリンシプルしだい。囲碁のAIは囲碁のルールを破らない。あなたはどんなプリンシプルのAIを作成するか?
エレガントな解を見つけられるかはプリンシプル次第
日本国憲法
第27条 「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」 →労働フリーが禁止されている?
第3項「これを児童に酷使してはならない」酷使しなければ労働させても良い?児童以外なら酷使しても良い?
第31条 「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」犯罪者じゃなくても法律の手続きを踏めば、生命若しくは自由を奪ってよい?
悩み
コンピュータが悩んだら(フリーズしたら)、強制終了させて再起動する。
人間も悩んだら、悩むのを強制終了させればいい。現に私はそれをやっている。
実はこれが悩みを解決させるための最もシンプルな解、エレガントな解なのである。
宗教の場合、悩んだら神に聞くことでフリーズ状態から脱出する。ただし、宗教をすること自体が悩みになる(私には信仰がない等)こともある
ビジネスの悩み
アメリカ式。弱肉強食だけどルールは守る。LBO(レバレッジド・バイアウト)、買収する会社を担保にしてお金を借りる。ひどいルールだがルールは守っている。
シリコンバレー方式。プレゼンの上手い人と弁護士、会計士で集めた資金を使って、エンジニアを雇い製品を作る。
日本式。良い製品を作って売る。会社に長く務め、社長から新入社員までお互いに信頼しあっている。だが、失敗を隠蔽する。法律・ルールを曖昧にする。上司や先輩を100%信頼する、否定しないことが裏目に出る。
花粉症の原因。1960年に池田勇人内閣が全国のブナ林を杉林に変えたことが原因。安倍晋三は杉を伐採し花粉の少ない苗木に変えることを国会で宣言したのに未だなされていない。役所のこれまでの方針を変えることは先輩の顔に泥を塗ることだという体質による。
アメリカ式、日本式の折衷案ではなくプリンシプルが大事。どんなプリンシプルを持つか?
プリンシプルは額面通りに受け取る。原理原則は勝手に解釈してはいけない。
国防のプリンシプルは「専守防衛」。なのに勝手な解釈をしているから間違う。専守防衛のプリンシプルに従えば、ミサイルを買うのではなく、サイバー部隊に予算を投入するという選択に至る。これが防衛におけるエレガントな解。
アメリカは弱肉強食がプリンシプルだが、「平和共存」をプリンシプルにすべきだ。このプリンシプルを額面通りに受け取って情報空間で数学的思考を駆使すれば世界は変わる。
思考は整理しない
経験・知識は大量に必要。大量の知識を整理せずカオスなままにする。そこから統合的感覚であるゲシュタルト(形態・形)が生まれる。
新しいものは混沌としたところからしか生まれない。整理をするということは過去の視点が入れることになるから。
創造=イメージが先にあって、そのイメージを実現させるために物理空間に準じたものなのだ
ライターを発明した人は、ライターという造形物を作ったのではなくて、かんたんに火が出るものを作ろうとしたはずだ。物理的な制約の中で自然とこの形に落ち着いたのだ。
ひらめきは混沌の中でしか生まれない
より良くひらめくやり方=イメージを縦横に広げる能力、混沌を混沌として受け止める力、不条理や不合理も当たり前に飲み込みながら、公理には従う自制だって必要だ。
なによりも造像を行うためのプリンシプル、原理原則を自分自身が心底から理解していることが必要になる。
この世のルールや出来事、感情などあらゆることを情報空間の中で図式化、立体化して理解てほしいのだ。
自由、悩み、レトリックとはなにか?を5章で展開している。これらを例に、自分を取り巻く全ての世界を自由自在にイメージしてほしい。そうすれば突然、問題が見えてくる。突然、理解がやってくる。そしてエレガントな解があなたの目の前に一瞬にして出現するのである。
朝日新聞のイラン誤報
記者の知識不足が原因だが、知識がなくても、一般常識や体験から類推しイメージをふくらませることはできる。すべての知識を持つことは不可能なので未知のものに対しての対処法となる。