苫米地英人の『トラウマ克服法』を自分の『いじめ体験』に試したら、いじめの対処法が分かった

      2016/11/06 アフィリエイトリンクを含みます

うつむく男

苫米地博士が書籍や動画でトラウマ治療について語っておられたのを見て、「これ効果あるかも」とピンときたのでやってみました。その方法と結果を紹介します。

情動を抑えるために論理的思考をする

苫米地博士は「人間は恐怖を感じるとIQが下がる」と仰っています。

東日本大震災の時に、原発事故に関する政府の発表に嘘や隠ぺい、矛盾が何度も発覚した為、日本人の多くは、恐怖を感じていました。

苫米地博士が紹介しているクライシスサイコロジーという災害時の対応マニュアルによると、「災害時の報道は情報を隠蔽せずに現状分かっていることのすべてと最悪の場合こうなるというケースを淡々と紹介すべき」とされています。

現在の状況と最悪のケースを聞くと、頭が情報を分析するモードへと切り替わり、恐怖の情動が抑えられるそうです。

ちなみにこのマニュアルには、「情報を隠蔽したり、嘘の報道をしてそれが後でばれたリすると、人々の恐怖心が増幅されてIQが下がり、以下のような行動をする場合があります。」と書かれていて、その行動の中に「水を買い占める」が入っていたそうです。
当時実際、ペットボトルの水がスーパーやコンビニから消えましたよねw

この理論を応用して、いじめのトラウマを克服することが出来ます。

私のいじめ体験は「囚人と看守」状態だった

私は中学生の頃にいじめを受けたことがあります。

いじめといってもクラス全員に無視されるとかいうものではなく、特定の不良生徒に脅されたり、暴力を振るわれたりと言うものでした。

普通の生徒が相手であれば、殴られれば殴り返せばいいのでいじめられることはなかったのですが、不良相手に殴り返したら、その後ひどい反撃を食らって大けがをさせられるんじゃないかという恐怖心が沸き、無抵抗になってしまいました。

顔面を蹴られたり、髪の毛を抜かれたりしました。毎日ではないですが、一度そういう怖い体験をすると今日もやられるんじゃないかと毎日学校に行くのが怖くて憂鬱でした。

今思えば、苫米地博士の解説でよく言われている「囚人と看守」状態だったということです。

「囚人と看守」とは、囚人が入っている牢屋の前に高い塔を立てて、そこから時々下にライトを照らして監視します。囚人は下から上を見上げても塔の様子は見えません。すると、実際監視していなくても、監視されているように感じるそうなです。

まさに私の中学時代も囚人(私)看守(不良生徒)状態だったのです。実際に暴力を振るわれない日でも、やられるんじゃないかという恐怖がずっと続いていたわけです。

毎日本当に怖くて早く卒業したくてたまりませんでした。卒業式の日には、最後のホームルームが終わって解散となって、その3分後には校舎の外にいました。普通卒業式の後には別れを惜しんでなかなか学校から帰らないものですが、学校にいたら、また暴力を振るわれるのではないかと言う恐怖心があって、一刻も早く学校を脱出したかったのです。

当時自転車通学をしていたのですが、自転車置き場には私と同じように急いで学校を脱出しようとする生徒がいました。恐ろしい学校だったんです。

いじめ体験を論理的にとらえ直してみる

今でもいじめ体験を思い出すと怖くなったり、怒りを感じたり、楽しいはずだった青春時代を奪われた無念の感情が沸きます。

そこで、

  • 「実際どれくらいいじめられていたのか?」
  • 「なぜいじめられたのか?」
  • 「どうすればいじめを回避できたのか?」

について考えてみました。

どれくらいいじめられたのか?

毎日のように「調子こいてんじゃねーよ、殺すぞ!俺ら少年院入ったってかまわねーんだからな」等と言うような脅しを受けていました。

今思えば、いきがってる子供が吹いてるだけの話だと分かります。しかし、当時は恐怖心が勝って、そのように考える余裕はありませんでした。

暴力を振るわれたり髪の毛を抜かれるなどの身体的痛みを与えられたのはおそらく30回くらいかと思います。

暴力と言っても、本当にひどい自殺しちゃういじめのようなものではありませんでした。

なぜいじめられたのか?

「弱かったから」

弱かったと言っても校内で最弱のもやしっ子だったわけではなく、私よりも弱い人間はたくさんいました。ですが、私がターゲットにされた理由は自分の存在意義が弱かったからだと思います。

私の両親は仲が悪く、母は父の悪口を私によく聞かせていました。「離婚したいけど子供がいるから出来ない」とも言われました。つまり、子供である私のせいで離婚できないって、言われたわけですから、子供心に相当傷ついたのだと思います。

親にそういうことを言われると自分の存在意義が薄らぎ、自分を大切にできなくなるのだと思います。そこに付け込まれたのだと思います。

「不良と接点を持ってしまったから」

不良の数が多い(クラスに数人は必ずいる)学校だったので、どうやっても接点は出来てしまう状況でした。いじめられることが分かっていれば、出来るだけ目立たないようにしていたのですが、当時の私にはそんな戦略的思考はありませんでした。

「部活で他の生徒からバカにされていたから」

私はサッカー部だったのですが、性格の悪い生徒が数人いて、他人を貶めて自分の立場を良くしようとするのに利用されてしまいました。

当時の私にはこのように俯瞰して人間を分析する能力はなかったので、周囲に翻弄されてしまいました。

こうなった理由はもう一つあって、私の家族は私が中学校に入学するタイミングで引っ越しをしました。他の生徒は小学校時代の友人関係があるのに対して、私にはまったくない状態でスタートするので立場的に弱かったのです。

「ビビってしまい反抗しなかったから」

私はなぜか中学生のころから自分の健康状態が悪化することを恐れていました。

いじめられて健康状態が悪くなったからなのか、鶏が先か卵が先かみたいな話ですが、大けがをしてでも反撃してやろうという気にはならず、嫌な思いをしても耐えればいいと考えてしまいました。

というよりも、反撃する気持ちが沸かないくらい怖くなってしまっていたように思います。

こうなってしまった理由の一つは、私の父は母との仲が悪く、父は家にあまり帰ってきませんでした。男親がいない家で育つと男性性(強さや暴力性)が弱まるかもしれません。

「いじめられても誰にも相談しなかったから」

自分がいじめられていると誰かに打ち明けることは当時中学生の私には、恥ずかしさやかっこ悪さ、情けなさがあって出来ませんでした。

改めて考えてみると、恥ずかしさなどだけではなく、「相談しても誰も助けてくれそうにない」と思っていたと考えられます。親から愛されずに育つと、誰かが自分を助けてくれるという期待を感じられなくなるのだと思います。

どうすればいじめを回避できたのか?

私がいじめられた原因の多くは両親にあるということが分かりました。ですが、親を取り換えることは出来ません。

今の頭脳を持って中学生をやり直せば、状況を俯瞰的に判断して対応することは出来ますが、親に大切にされず恐怖心に支配されていた私はIQが下がっていて、そんな対応をすることは出来ませんでした。

もしも、出来たことがあったとしたら、「多くの人に相談する」これしかないと思います。

親に相談する
担任の教師に相談する
部活の顧問に相談する
教頭や校長に相談する
友達に相談する
親戚に相談する

これだけの人に相談すれば、誰か手を差し伸べてくれる人がいたかもしれません。
親戚に相談すれば、そちらに住まわせてもらうことも出来たかもしれません。

それともう一つできたことは「登校拒否」です。一般的に良くないこととされていますが、いじめられてる状況ならば登校拒否すべきだと思います。我慢しているとトラウマになって、後々の心と体の健康状態に悪影響を与えます。実際私も中学校を卒業後体調を悪くしてしまいました。

ですから、いじめられたらまずは登校拒否して、親と教師に相談し、次に登校した時にいじめがなくなれば解決ですし、なくならなければ再び登校拒否をして、他校への転入や親せきの家に移り住めないかを検討するのが良いと思います。

分析して見えてきたこと

いじめの原因や回避方法は今の私なら分かりますが、中学生の頃の私にはわかりませんでした。ですから、結果論的には回避不可能な不幸だったわけです。起きてしまったことは変えられません。

しかし、「賢い思考さえ出来ていれば、いじめを回避することは出来た」という認識に変わりました。

苫米地理論を学んだ今の私は、他者から理不尽なことをされた際に、それを回避する術を持っています。ディベートや脳科学・心理学の手法を使って相手を説得することが出来ます。

ですから、「辛いいじめ体験をしたけど、今後誰かにあのようなひどいいじめをされることはない」という風に考えを変えることが出来ました。

実際職場などでも、理不尽なことを言う人間は時々いて、そういった場合も、冷静にこちらの主張を伝えれば大抵の場合、解決できています。解決できない場合は転職すればいいだけですし、状況を論理的に分析して対応すれば、いじめは解決できるものだと実感しています。

あとは、人に相談することの大事さに改めて気が付きました。私は親に大切にされずに育ったので、人を頼ることが苦手な側面があることが分かりました。今後はそれを意識にあげて、必要な時にはちゃんと人を頼ろうと思います。

「無意識は意識に上げることでコントロールが出来る」と苫米地博士から学びましたからね。

やってみて感じた効果

苫米地博士のおっしゃる通り、論理的思考をして前頭前野を働かせると情動が抑えられたように感じます。今いじめられた当時のことを思い出してみても、以前のような恐怖感や怒りはなく、「そういう事実があった」という淡々とした認識に変わったように感じられます。

特にこうやって文章化したことによって、頭の中だけで考えていた時よりも、情動が沸かないようになりました。トラウマを抱えてらっしゃる方は、ぜひ文章化してみることをお勧めします。箇条書きとか簡単なものでもいいので書いてみると、客観的に状況を見る視点が得られます。

それから、恐怖の情動が沸かなくなったといっても、やっぱりその時に失われた楽しかったはずの時間は戻ってこないので、それは今でも悔しく感じています。

しかし、苫米地博士が仰るように「人間には今しかない」のですから、目指すゴールに向かって今を精一杯生きる、この言葉の価値を改めて感じました。

苫米地理論の神髄

苫米地理論の神髄は自分を変えれば世界が変わるってことです。自分を変えるとは自分の内部表現を変えるということです。

では、どうすれば、内部表現を変えられるかというと、ゴールを設定しコンフォートゾーンをずらすわけですが、そうは言ってもなかなかできません。現状を維持しようとするホメオスタシスが働くからです。

では、その現状を維持しようとする力の根源はなんでしょうか?

多くの人にとってそれはお金ではないでしょうか?

お金を稼ぐためにやりたくもない仕事をしている、それってすごくもったいないことです。

苫米地博士はwant toな(やりたい)仕事をやるべきだとおっしゃっています。

それは、自分がNo1になれる分野の仕事です。

「おれがNo1になれる分野なんてないよ!?」と思われたかもしれませんが、そんなことありません。

探せばちゃんとあるはずです。

苫米地式No.1ビジネス実践プログラムをぜひ見てみてください。

きっとあなたのやりたい仕事を見つけられると思います!

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