苫米地英人の仏教解釈(縁起)を人生に活用する方法
2020/03/08 アフィリエイトリンクを含みます
認知科学者の苫米地英人博士は仏教の研究もされていて、天台宗に入信されています。
博士が仏教について書いた書籍もたくさんあります。
それらを読んで、
「仏教ってそういうことなのかぁ、それなら自分の人生に活かせるなぁ!」
と感動したものを紹介したいと思います。
お釈迦様が悟った「縁起」の苫米地解釈
お釈迦さまは様々厳しい修行をした後に菩提樹の下で瞑想している最中に悟りを開いたと言われています。
その解き悟った物が「縁起」だと言われています。
一般的に縁起がいい、悪いっていうのとは違うの?
よく縁起がいい、縁起が悪いなんてことをいいますが、縁起とはなんでしょうか?
例えば、結婚式場の前を救急車が通ったら縁起が悪いと感じます。はたまた、飲もうとしたお茶の茶柱が立っていたら縁起がいいなんてことを言います。
つまりは、良いこと・悪いことが起きそうな予感のことを言っています。
しかし、苫米地博士によると、お釈迦様が悟った縁起は全く違うものです。
縁起とはモノ・コト・ヒトの関係性のことである
例えば、自分とは何かを定義する場合、
- 名前が山田太郎
- 年齢は30歳
- 東京都港区に住んでいて
- 早稲田大学を卒業している
- 妻は山田花子で
……続く
と言う風に自分を定義していくことが出来ますが、これらは全て自分と関係のあるモノ・コト・ヒトの情報にすぎません。自分自身が一つも出てきません。
そうです。自分には実体なんてないんです。
自分と関係ある(縁起がある)モノ・コト・ヒトの関連の中心にいるのが自分なのです。
つまり、お釈迦さまは自分とは、周りにあるモノ・コト・ヒトの関係によって存在しているのだと悟ったということです。
ですから、誰もが自分単体で何か存在していない、自分を変えたいなら周囲のモノ・コト・ヒトとの関係性を変えればいいということです。この理論は大いに人生に活用できそうですよね。
例えば、今自分が貧乏なことが嫌ならば、お金との関係性を変えればいいということです。
勤めている会社を変えれば、お金との関係が変わりますし、副業を始めてもお金との関係が変わります。
そう考えると、いくらでもお金との関係性を変えることはできますよね。つまり、いくらでもお金持ちになれるということです。
先生・親・上司も絶対的に偉いわけでない
縁起が分かると、目上の人との関係性の解釈も変わります。
先生は生徒がいるから先生でいられるわけだし、親は子供が生まれてくれたおかげで親になれたわけです。上司も部下がいるから上司をやれてるのです。
全ては関係性によってなりたっているので、一方的にどちらかが偉いなんてことはないのです。
両方存在して初めて、先生と生徒、親と子供、上司と部下が成り立っているのです。
ですから、親から、「誰が産んでやったと思ってんだ!」って言われたら、「誰が親にしてやったと思ってんだ!」と言い返せばいいのです。私の親は口論になると決まって最後にはこのセリフを言ってたので、私が子供の頃に苫米地さんの本があればよかったなとちょっと悔しい想いをしています。